第1章 富士山を読む

 本章では、富士山の形成と植物・植生について、特に静止した自然を単に述べるのではなく、「自然は常に変化している」ということにスポットを当てて解説しています。
 例えば、富士山は隣り合う南アルプスと比べて、各森林帯の分布が標高で200m低いとともに、南アルプスの高山帯で見られるハイマツ帯が見られず、高山帯にはかわりに、矮小化したカラマツが見られます。その謎を解く鍵は富士山の噴火の歴史に隠されていたのです。
 「風林火山」とは戦国の武田信玄で名高いですが、そこでは「静かなること林のごとく、動かざること山のごとし」と林も山も「静的な代名詞」として使われています。しかし、実際に長期的な視野でじっくりみてみると、実はどちらも劇的な変遷を経て今日の姿にたどり着いていることがわかってきました。少しきざに言えば「Always Challengeのこと林のごとく、Dynamic Changeのこと山のごとし」といったところでしょうか。

    
荒涼とした高山帯                       五合目のダケカンバ林



第2章 日和田山・物見山を読む

 埼玉県の中西部、関東平野と秩父盆地に挟まれた山域は「奥武蔵」と呼ばれています。本章では奥武蔵の東端に位置する日和田山、物見山をフィールドに、高麗の郷に残された巾着田の成り立ちや、西川林業の歴史を紐解くとともに、一帯で見られるいわゆる雑木林(二次林)、ヒノキ人工林、わずかに残された照葉樹林(天然林)の3つのタイプの森林の違いを、実際に植生調査で得たデータを基に解説しています。
 一見平凡に見える山、農山村にもその地域に固有な自然的変遷、人間との関わりがあり、それぞれの山、農山村独特の姿を醸し出しています。
 本書を片手に日和田山、物見山を歩く際に、奈良期高麗人の囁きと、江戸期林業人の叫びを聞き、彼らが現在の山、農山村の姿を見てどんな感想を持つか想像してみるのもおもしろいのではないでしょうか。

    
紅葉の日和田山(右)と物見山(左)           巾着田を下に見る



第3章 南アルプス林道を読む

 仙丈ヶ岳は南アルプスの北部に位置し、その美しい山容から南アルプスの女王と称されています。この山の登山口にあたる北沢峠を通過して長野県長谷村、山梨県芦安村間には南アルプス林道が開設されています。「自然保護か開発か」で揺れた林道も開通して今年で23年目を迎えました。
 我々を何気なく標高2,030mの北沢峠まで運んでくれる南アルプス林道、何も知らなければ単なる林道にすぎません。しかし、その軌跡、沿線の自然、そこに生きる人々は様々な表情を持っています。本章では主としてこの林道の長野県側の区間についていろいろな角度から取り上げてみました。
 例えば、「南アルプス林道の冒険者たち」の項では、実際に林道のり面の植物を観察したデータを基に、林道のり面は、あるところは山地帯針広混交林、あるところは山地生草原、あるところは高山れき地、あるところは河原崩壊地、あるところは路傍雑草地など、様々な群落がモザイク状に成立している非常に複雑な空間であることを明らかにしています。
 本章を通して南アルプス林道の意義、抱える問題などについて考えていただければ幸いです。

    
林道のり面のヤマブキショウマ               北沢峠の亜高山帯針葉樹林



第4章 大いなる宮の自然を読む

 
「武蔵の国一宮の地」、「鉄道のまち」、「産業のまち」、「盆栽のまち」、「漫画のまち」、「商都」、「埼玉新都心」といえば、これらは全て「大宮」を形容する言葉です。
 埼玉県の旧大宮市は県南東部に位置し、平成13年5月に旧浦和市、旧与野市と合併し、さいたま市となりましたが、その恵まれた立地条件、自然条件ゆえに古くから様々な文化が育まれ、発展を続けてきました。
 しかし、このように様々な顔を持つ旧大宮市ですが、その自然・文化の素顔は県民の人々にもあまり知られていないのではないでしょうか。例えば、現地での毎木調査の結果、氷川参道のケヤキ並木には、実に647本、23種類の樹木が生育していることがわかりました。中でも「ケヤキ」が455本で最も多く、ついで76本の「スダジイ」が続いています・・・。
 「大宮」の名称の由来は「大いなる宮」で、武蔵國一宮・氷川神社のおひざ元であることからきています。本章では大宮駅から氷川参道を通り、氷川神社、大宮公園、盆栽村を経由して土呂駅へ至る道を巡ります。大宮の市街地に残る自然と文化の素顔にぜひ触れてみてください。

      
氷川参道一の鳥居                       武蔵國一宮・氷川神社



第5章 入川渓谷を読む

 
埼玉の700万県民にとって、荒川は「母なる川」といえます。荒川は奥秩父の甲武信岳を源に、東京湾にそそぐまでの総延長は173kmで、埼玉の地に恵み豊かな水と肥よくな土壌をもたらし続けています。一方で甚大な被害も引き起こし、「荒ぶる川」の一面も持ち合わせています。県土面積の約7割が荒川流域であり、埼玉の歴史は荒川とともに歩んできたといっても過言ではないでしょう。
 そんな荒川の源流が今回取り上げる「入川」です。埼玉県の西端、秩父郡大滝村の真ノ沢と股の沢の合流点から滝川と合流する川又の集落付近までの区間が「入川」と呼ばれています。
 入川沿いを訪ねてみると、澄んだ渓流とそこに生息する渓流魚、渓流沿いに適応して発達した天然林である「渓畔林」、渓流が育んだ木々を伐出するための森林軌道跡といった、渓流が育んだ自然、その自然とともに生きてきた人々の生活、文化を体感することができます。
 入川沿いを散策して源流の息吹を感じ、過去、現在、未来の荒川源流に思いを馳せていただければ幸いです。

      
入川渓谷の流れ                         森林軌道跡



第6章 秩父神社・ははその杜を読む

 
「知れば知るほど奥が深い街」、本項をまとめるにあたり秩父の街について文献・聞き取り・現地調査を行って得た実感です。
 埼玉県秩父市は県西部の秩父山地の中央、秩父盆地に位置する、秩父地域の拠点となる都市です。江戸時代には市中心部は大宮郷と呼ばれ、秩父の街を語る際には秩父神社を欠くことができないことがうかがえます。
 本章では、秩父神社へと続く番場町商店街の建築物の調査を行い、貴重な木造建築物が数多く残されていることがわかりました。また、秩父神社の神社林である通称「ははその杜」(ははそとはコナラ、ミズナラなどナラ類の旧称)の毎木調査を行い、合計で40種類、818本の樹木を確認しました。
 このように本章では秩父の市街地に鎮座し、秩父の人々とともに時代の変遷を目の当たりにしてきた秩父神社を中心として、そのまわりに今も残る自然、文化にスポットを当ててみました。地域社会の崩壊が指摘される昨今、心のふるさと秩父を訪れて、自分の住む街の自然や文化、人々の生活にも目を向け直すきっかけにしていただければ幸いです。

      
秩父神社正面                        名工左甚五郎作「つなぎの龍」



第7章 谷川岳を読む

 
「谷川岳」という山名からどんなイメージを思い浮かべるでしょうか。岩壁の山、遭難のメッカ、双耳峰、紅葉、岩清水・・・。上越国境にある谷川岳は一ノ倉沢、マチガ沢を中心とする岩壁と、世界に類を見ない700人以上の遭難者を数える山として知られています。一方で高速道路とロープウェイによって首都圏から日帰りも可能とあって、日本の山の知名度では5本の指に入る山といえるでしょう。しかし、よくよく考えてみると、谷川岳はとても不思議な山です。標高2,000m足らずの山に、いきなり1,000m近くの岩壁がそそり立ち、その底には越年雪渓が残っています。標高1,000mの場所に越年雪渓があるのは、同緯度では地球上で谷川岳だけだといいます。また、標高1,600m以上には亜高山帯にもかかわらず高木は生育せず、ササ草原とミヤマナラ低木林が広がり、素晴らしい眺望を得ることができます。
 がむしゃらにピークを目指す方、きれいな景色を楽しむ方など山登りのスタイルは様々ですが、そんな中で本章では、自然を観察し、その不思議さ、偉大さに驚き、感動する山登りを提唱しています。谷川岳の不思議さ、「山を読む」山登りに興味を持っていただくきっかけとしていただければ幸いです。

      
谷川岳(オキの耳)を望む                     谷川岳山頂(トマの耳)



第8章 木の机ができるまでを読む

 
自然100選なのになぜ「木の机」なの?と不思議に思われた方も多いと思います。でも、少し考えてみてください。木の机の材料はもちろん木ですが、その木は伐採される前には山に生え、森林、自然を形成していたのです。
 山で自然を形成していた木は、伐採されたらそれで終わりではありません。その後、みなさんの家や家具、道具など様々な形に姿を変え、第二の人生、いいえ第二の「木生」?を送っているのです。そこに第二の自然を形成しているといえるでしょう。
 本章はそんな第二の自然に着目してみました。秩父の木で秩父の学校の机が作られる過程をまとめ、一つの机から、普段の生活の中では見過ごしている木、森林、林業、そして身近な自然にまで興味を持ち、学んでもらいたいという願いを込めて書きました。
 みなさんが日常生活で木製品を目にしたとき、その木の第一の木生、その木が形成していた自然に思いを馳せていただければ幸いです。

   
木の机(荒川村立荒川西小学校)            木の机とスチールの机



第9章 羽生の自然を読む

 
「四里の道は長かった。その間に青縞の市の立つ羽生の町があった。」で始まる田山花袋の「田舎教師」の舞台こそ、本章で紹介する羽生の街です。埼玉県羽生市は県北部、関東平野の中央部に位置する人口約5万4千人の田園都市です。
 羽生市は西の岡山市と並ぶ衣料産業の街で、江戸時代に忍城主安部豊後守正喬が、武家の内職として奨励した足袋の縫製が始まりといわれています。田舎教師の冒頭の「青縞」とは、木綿を藍で染めた織物で、羽生、加須などの市で売買されていました。その後、工業生産の時代入り、東日本第一の衣料生産地に発展しました。
 東北道の羽生インターチェンジの東側に広がる水田地帯には、国指定天然記念物のミヤコタナゴやムサシトミヨが生育し、宝蔵時沼には食虫植物のムジナモが自生しており、水郷の街としても貴重な自然を今に残しています。
 田舎教師の街羽生、藍染の街羽生、水郷の街羽生、全県的には地味で目立たない、小さな街ですが、伝統的な文化と「田舎教師」に描写されたロマンの香り漂う風物、豊かな自然環境が今も残る田園都市羽生の様々な横顔を読みとっていただければ幸いです。

   
ムジナモが自生する宝蔵寺沼                ムサシトミヨが飼育されているさいたま水族館



第10章 身近な自然を読む

 埼玉県秩父農林振興センターから埼玉県庁への異動のため、平成12年に、3年間暮らした秩父の地を離れてから、ずいぶん時が経過しています。現在、さいたま市に在住していますが、ことあるごとに秩父市内に残された自然、身近な自然のことを思い出します。
 本章のテーマは、自分の住む街、通勤する街にも、まだまだ自然が残されているということ、みなさんはそれをみすみす見過ごしているのではないかということを、みなさんに知ってもらいたいとのことから、「身近な自然を読む」こととしました。家と学校、職場を往復するだけでも時間は経過しますが、同じ時間の中で、1日のうち3分でもいいから街の自然を読んでみれば、きっと何かを感じ、何かを得ることができると思います。
 自宅のアパートから職場の間で観察できる植物を1日1種類、手帳に書き留め、それを1年間続ける、という単純な方法で調査を行った結果、秩父市街で実に1年間で365種類の植物を観察することができました。
 今回はたまたま秩父で実践しましたが、同じことはみなさんの住んでいるどんな市町村でも可能です。身近な自然の読み方を、本章から読みとっていただければ幸いです。

     
雪の武甲山                             道ばたで花見気分





目次にもどる